アラフォー男子の探検日誌

冒険、なぞ解き、探究に憧れながら、キャンプにさえ行かないインドア派。ぐうたらアラフォー男子のほとんど空想的探検日誌

勾玉の発展と衰退

勾玉は縄文時代頃から発生したと考えられてますが、縄文時代後期から晩期には形状が複雑化し、材質も多様化します。
弥生時代前期までは、獣形勾玉や緒締形(おじめがた)勾玉など、縄文土器土偶に代表されるような芸術的形状の勾玉が作られます。
この頃は、おそらく自由かつ創造的、文化が花咲いたような広がりを持って拡大していった様が感じ取れます。

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一方で弥生時代中期以降は定形勾玉というある一定の形に収束するようになり、古墳時代頃から威信財として扱われるようになります。
最終的に勾玉は三種の神器のひとつとなり神格化され、一般庶民が気軽に装身具を身に着けることができないようになっていきます。
勾玉は、天皇の権威を象徴する祭祀具となり、結果時代の表舞台からは姿を消します。

勾玉が何に使われたのか、祭祀や呪術に使われたと考えられていますが、真実は分かっていません。
縄文時代、最初の勾玉はおそらく動物の牙を模したものだったと思います。


自然崇拝や祖先崇拝にはじまる原始宗教は、世界的には中期旧石器時代(5-30万年前)からはじまるといわれ、それは日本列島へ人が渡来した約4万年前には、既に何かしらの宗教的信仰があったことを示しています。

狩りの対象であった動物は、食料となって人類を生き長らえさせる生命の糧でした。
時に狩りが失敗し、逆に人が命を落とすこともあったでしょう。
そうした時、狩りの成功と生命が護られるよう、また、動物の類まれない能力に肖る目的で、動物の牙を自然と身に着けたことでしょう。

そうして時代が下ると、更に硬く永遠ともいえる耐久性を持った素材として、石質が選ばれたことも自然と頷けます。
その後勾玉は、より強力なパワーを得られるよう獣形勾玉や緒締形勾玉など、独特の発展を遂げますが、途中から当初の意図からは外れ、
魂や祖先崇拝の対象になったと考えられます。
それは、弥生時代中期以降に勾玉の形状が定形勾玉に収束したことから読み取れます。

古墳時代まで下ると、もはや当初の意図とは全く違う威信財として、個人の権威や権力を表す物となってしまいますが、
そうなってしまえば後は人々の記憶から、そして文化から忘れ去られるのも時間の問題となります。
勾玉の発展が、実はそれは当初の意図から外れれば外れるほど衰退の道を辿る結果となってしまったように思えてなりません。