アラフォー男子の探検日誌

冒険、なぞ解き、探究に憧れながら、キャンプにさえ行かないインドア派。ぐうたらアラフォー男子のほとんど空想的探検日誌

勾玉 ~歴史から消えた謎~

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勾玉(マガタマ)は、日本古来の装身具のひとつで、祭祀や呪術的な意味を持ったといわれますが、どのように使われたのか真実は謎のままです。

勾玉の歴史は古く、縄文時代から古墳時代まで。

大よその西暦で表現すれば、紀元前6世紀から3世紀から7世紀頃、約1万年の間となります。

しかし、勾玉はその後歴史の表舞台から姿を消します。

これは、日本における装身具の歴史とも密接な関係があると私は考えており、事実、日本人は奈良時代以降、明治時代に至るまでの約1100年間、装身具を用いていませんでした。

約1100年の間、日本から装身具が消滅した理由は諸説ありますが、よくいわれる理由のひとつが聖徳太子が603年に定めた冠位十二階。

冠位十二階の制定により、衣服の質と色で位が表されるようになったため、装身具の役割が薄れたという説です。

確かに聖徳太子肖像画をみると、装身具はありません。

また、仏教の影響もあるといわれます。

仏教は6世紀半ばに日本に公伝したと考えられており、それが勾玉を含む装身具の消滅の原因だという説です。

確かに仏教も影響のひとつではあると思いますが、それがすべてではなかったと思います。

仏教とともに公伝した中国古代の陰陽五行思想に基づく天文学、暦学、易学、時計等をも管掌した陰陽師の影響もあったことでしょう。

陰陽師が占術など方術や、祭祀を司るようになり、祭祀や呪術が公になったことが勾玉をはじめとする装身具の消滅につながったのではないでしょうか。

神社が陰陽師の影響を受け、祭祀や呪術が公として執り行われれば、それは個人やムラ単位の祭祀や呪術の消滅につながるでしょうし、陰陽師呪符・霊符が公な御守りとなれば、もはや勾玉の必要性はなくなるのかもしれません。

縄文時代にはじまった勾玉の歴史は、個人が精霊を敬い、精霊の加護をもとに魔除や呪術的な意味合いを込めたものだと私は考えています。

アフリカをはじめとした自然を敬う原住民の文化において、似たような風習がみられます。

縄文時代には、入れ墨や抜歯の風習もあったといわれていますが、これらも含め装身具の存在は個々人が個々人らしくあるための文化であったと思います。

そして、装身具がなくなったことは、右へ倣ならえの文化、つまり、日本における没個性の文化のはじまりだったのではないかと思います。

他人と同じ、みなと同じが正しいこと、出る杭は打たれる。そういった価値観が装身具の消滅につながり、その価値観は奈良時代以降、明治時代に至るまで約1100年間以上続くことになります。