アラフォー男子の探検日誌

冒険、なぞ解き、探究に憧れながら、キャンプにさえ行かないインドア派。ぐうたらアラフォー男子のほとんど空想的探検日誌

土偶(ドグウ)と埴輪(ハニワ)

先日の石器入手より、縄文時代弥生時代、そして、古墳時代への興味がふつふつと彷彿としているアラフォー男子。

その中で、ふと思ったのが「土偶(ドグウ)」と「埴輪(ハニワ)」ってどこが違うんだっけ?という素朴な疑問。

調べてみると、作られた「時代」と「目的」が違うものということが分かりました。

まずは、土偶について

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土偶といえば、まず思い出すのがこのスタイル。

宇宙人か?と思うのも無理はない、奇抜ないでたち。

特徴的な目ですが、イヌイットエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(いわゆるゴーグル)を付けているように見えるので、こういったタイプの土偶を遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)というそうです。

ちなみに、イヌイットエスキモーが使う遮光器は、プラスチックやガラスがない時代は木の板に細い覗き穴があるタイプで、見た目は遮光器土偶がしているのとよく似ています。

この土偶、見た目から人間をベースにしているのは分かりますが、デフォルメされており、また、模様も多様で、非常に芸術的です。

見つかっているほとんどの土偶が乳房、女性器、臀部など、女性を表現していると思われる容姿をしています。

土偶は、土をこねて、形を形成し、焼き上げられて作られるが、足や腕など体の一部が破損した状態で見つかることが多く、また、破損箇所にアスファルトで接着したものも見つかっていることから、故意に破損させる目的があって作られたと考えられています。

また、集落のゴミ捨て場などに投棄された状態で見つかることも多いため、最終的には捨てられることが目的だったとも考えられています。

例えば、多産や豊穣を祈願するための儀式や、体の悪い個所を破損させることで快癒を願ったなど様々な説があるものの、記録がないためいずれも推測の域を出ることはありません。

発見されている土偶のうち、日本最古の土偶は、約1万2,000年〜1万1,000年前に作られたものとされており、その後日本各地で様々な形状の土偶が作られたものの徐々に姿を消していきました。最も最後まで土偶を作っていたと考えられている東北地方では、弥生時代前期まで盛んに作られたものの、中期から衰退し、後期にはほとんど作られなくなりました。

縄文時代が、前14000年頃 – 前4世紀。弥生時代が、前4世紀(前10世紀) – 後3世紀中頃とされているので、ちょうど西暦元年ごろに土偶の時代が終わったことになります。

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つづいて、埴輪(ハニワ)

一方の埴輪(ハニワ)は、日本の古墳時代のもので、素焼の焼き物。古墳上に並べ立てられたもの。

3世紀後半から6世紀後半にかけて造られ、前方後円墳とともに消滅したということで、古墳に付随するものが埴輪です。

形も様々なものがあり、葬送儀礼や生前の祭政の様子を再現したなど様々な説がありますが、埴輪も土偶同様、記録がないため、その真の目的は推測の域を出ることはありません。

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結局のところ、土偶と埴輪の違いを纏めると、

土偶は抽象的、

埴輪は写実的。

こんなところでしょうか。